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歴史を勉強し、我が振り直そう・・・・・  人事見直し倶楽部通信  №2741

time 2017/08/27

歴史を勉強し、我が振り直そう・・・・・  人事見直し倶楽部通信  №2741

みなさんこんにちは。下ちゃんです。昨日は久しぶりに 夜、映画を見に行きました。「関ケ原」という映画です。

今から歴史を変えることはできませんが、その時代を生き抜いた人たちが何を考えどう生きてきたのかが学べてよかったです。早速調べました。

 

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、戦国時代後期の1600年、美濃の関ヶ原で、徳川家康を大将とする「東軍」と、石田三成を中心とする反徳川勢力の「西軍」とが行なった合戦である。

石田三成ら西軍は総勢10万、徳川家康ら東軍は総勢7万が関ヶ原に陣を構えたそうです。

先に石田勢が陣を構えたことから、あとから関ヶ原に到着した徳川勢は、不利な配置となっていた。

西軍は多くの将が様子見で戦に参加せず、戦闘したいたのは30000程度であったが、地形的有利が働いて、東軍は少し押されていた。

 

しかし、東軍の黒田長政らは、事前に西軍の小早川秀秋らに戦いとなった際には、東軍に寝返るよう合戦が始まるだいぶ前から調略していたそうである。

このように、合戦が始まる前には西軍が有利であったが、徳川勢の調略が功を奏して寝返りや、動かない大名が続出する結果となる。こうして、西軍は総崩れとなり、双方合わせて6000~8000人の戦死者を出した関ヶ原の戦いは、徳川家康勢の大勝利となったのである。

 

「調略」というワードが頭に残った。

日本の歴史における中世室町時代以降、複雑化した大小の豪族(大名、小名)たちの利害関係を背景に、互いに政治的および政略的に影響を及ぼす工作、諜報活動が増加した。具体的には、敵方の人材の引き抜き、有事における内応、誘降、謀反、離反などを誘発させる工作活動が主である。応仁の乱以後、安土桃山時代、関ヶ原の戦い前後まで、それぞれの大名たちの戦略における一大要素をなしたとのこと。

 

今の時代、このような調略はあるのだろうか・・・・

利害関係が一致するとこのようなことになるんであろう。天下分け目の戦いを改めて見て、これからの行動の糧にしたいものである。歴史を振り返ることって自分を気持ちを整理できるのでいいなぁ~

さぁ明日から新たな週がスタートです。後半は9月に突入。あっという間に年末・・・・う~ん時が経つのが早い!

無駄のない悔いのない日々を過ごすように、計画を立て実践したいものである。

 

 

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