みなさんこんにちは。下ちゃんです。アスファルトの道、そこから沸き立つ熱風、噴き出る汗、電車を待っているプラットホームには団扇や扇子の花が・・・・名古屋では40度越えしたという。
いつまで猛暑日が続くのであろうか。体が悲鳴を上げている人も多いのではないでしょうか。熱中症対策小まめな水分補給は継続で無理をしないようにしましょう~
今日は大阪淀川の花火大会が、神戸ではみなと花火大会が開催される。相当の人数が大阪・神戸に集まると思います。体調には十分気をつけましょう~
私は今日健康診断です。これまでも経過観察で来ているのでそれより悪くならないようにと祈ってます(祈るのであれば自己管理しっかりしろよと言いたいですが・・・・)
さて、
ここ最近思うのが、手段の目的化が計画をダメにすると・・・・
計画は何のために作るのでしょうか?
計画は目標を達成するために作りますよね。目標は目的に向かっていくためにクリアすべきものなのです。
たとえば身近な事柄で言うと日報です。
日報は手段の目的化が起こりやすいのです。
そもそも日報の目的は、上司が部下の日々の行動を確認して適切なアドバイスをするまたはメンバー同士で確認できるようにして、成功事例を共有化することである。
よって日報を書くこと自体はそのための手段という位置づけでしかないのです。
しかし、どこかの時点から日報を書くことが目的化してしまって、忙しくて書く時間がないから書かない、あるいは適当に書くといったことが起こるのです。
ひどいのは書かないということも・・・・・書いている内容も大して参考にならない。だから書くのをやめようといった具合です。
みなさんのなかでもありませんか?
何のためにという根本的な目的が忘れられてしまうと、計画も無意味になってしまう
目的が共有化されていることが必要不可欠な条件になることは言うまでもないと思うのです。